Information お客様コーナー
仁兵衛書林 正木文庫(石田耕吾氏旧蔵書含む)
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| 仁兵衛書林土曜講座のご案内 | ||
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| 9/9 | 第39回 | 笛吹田遺跡をめぐる課題 山岸 洋一 (市教委学芸員) |
| 9/16 | 第40回 | 日本の捕鯨について 砂田 光男 (捕鯨研究家) |
| 9/23 | 第41回 | 糸魚川の千石船史話 中村 秋夫 (市文化財審議委員) |
| 10/7 | 第42回 | 古文書一、二伴 斉藤 賢治 (糸魚川郷土研究会長) |
| 10/14 | 第43回 | 小滝炭鉱のこと 竹之内 耕 (理学博士・フォッサマグナミュージアム学芸員) |
| 10/28 | 第44回 | 御風の交友(三) 金子善八郎 (相馬御風研究家) |
| 11/4 | 第45回 | 県立糸魚川中学校の創設前後 蛭子 健治 (仁兵衛書林主幹) |
| 受講料 無料 連絡先 564-2146(蛭子まで) | ||
| 倉又仁兵衛家 概略 幕藩体制下の天保の頃、糸魚川地方には93を数える村々があり、その郷長(1834年)によると平牛村は397,85石と西海谷では最高の石高を有し、93村中で第5位を占める大村であった。倉又仁兵衛家はこの平牛村の重立として幾度も村役をつとめる。 明治34年、北西海村と南西海村が合併して西海村となり、昭和に入って倉又仁作は西海村長となる。これに先立ち糸魚川小学校校長をも勤めた仁作は大正9年、相馬御風主催によって開催された「西頚城史料展覧会」の事務局の担当の責にあたる。 改修された家屋は太い梁で組まれ胴差や柱に欅材を用いた18帖の茶の間を中心に15、10、6,5帖の5部屋と12帖の書庫、それに大凡24帖の土間等から成っている。築後130年と伝えら、この度の改修となった。 尚,18、15帖の二部屋には囲炉裏がとってある。 「仁兵衛書林」は江戸期からの家の呼称による命名である |
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開室 毎週土曜日(書庫閲覧) AM10:00~PM16:00 但し、講座のある日は午前中のみ開室(入室無料) (冬季間は雪の為11月~3月は閉館させて頂きます) お問い合せ先 TEL:025-564-2146 蛭子まで 新潟県糸魚川市平牛1007番地 |
― 思い出の能生町 ―
●発刊に際して 故室川右京氏
青年期より町の文化、歴史に対して大変な興味を示し、
平成三年脳梗塞で不自由になるまでエネルギッシュに研究、調査をしていた。
父とカメラのかかわりは大学時代に始まり、東京の下宿の押し入れを利用して現像、印画の作業をしていた。 月刊誌「アサヒカメラ(創刊大正15年)」を昭和12年より愛読し、カメラ技術について色々研究していたようである。 当時カメラはバルダックスM3.5を使用した。戦時中はカメラをいじることは不可能であったが、 戦後能生で開業してから昭和23年頃より再びカメラに対する興味が強くなり、 昭和25年5月東京へ出かけキャノン||―Bを購入している。 昭和28年からは撮影用の記録ノートを作り、年代毎、撮影順にネガフィルムの整理保存を始めた。 後年は全国の史蹟、歴史的建造物、石仏を訪れ写真に記録しているが、最晩年は三重や五重の多宝塔を訪れる事、 又、全国のひめはるぜみの発生地訪問が一番の楽しみであった。町史の編さんに携わる以前より、 町の資料作りをライフワークとし、昔からの行事、町の色々な景色、道路、川、橋などを撮影した。 教育委員長という役職もあり、町の各学校の様子が分る写真や、公民館の行事の写真も多く撮影している。
発刊の年が1999年という21世紀まで残り一年の年であるが、戦後から復興期の町民のいきいきとした顔の写真もあり、 現在の形の道路、線路になる前の写真は20世紀の想い出の姿の写真として皆様に保存して頂ければと思い今回の発刊となった。 30ケ所ほど現在の景色の写真を同じ風景で撮影し、父が記録したものと並べて掲載したが、2050年には100年前、 50年前の風景の比較が出来る面白い写真になると思う。亡き父にこの写真集をみせられないのが残念である。
弁天浜 夏のにぎあい 昭和26年撮影
学校にプールは無く、弁天浜海水浴場に飛び込み台を作り水泳の練習をした。
昭和27年撮影 西浜町裏海岸
昭和27年撮影 中央裏海岸
昭和31年10月撮影 トットコ岩
昭和33年 撮影道路拡張の為に昭和34年,35年にかけて取り壊され、今の広さの道路になった。

仲町、小町の町並みと雁木通り

